南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

★飛び入り翻訳~《基礎発趣論(業縁と果報縁)》2-33

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

国王はまた訊ねた:

「ナラタ梵天王、私はあなた様に質問をしたい。正直に答えて欲しい。私に嘘をつかないで欲しいのだ。

お訊ねします。本当に『来世』はあるのでしょうか?」

国王は邪見に固執しているが、それは、邪見の中には、来世はない、ためである。

梵天王は答える:

Atteva dev ā pitaro ca atthi、

loko paro atthijano ya mahu、

Kamesu giddhā ca nar ā  pam ūlā 、

lokaṃ paraṃ na vidū mohayuttā 。

「ありますとも!本当にあります。

『来世』はあります。『父母』はあります。『先輩』など等も、あります。

『五欲』にまみれた一部の人間は、『来世』を認めないし、『業報』も認めない。

というのも、もし、彼らが『来世』を信じるならば、来世の恐ろしい『果報』にも、思いを致す必要があるが、しかし、それでは『五欲』を目いっぱい楽しむ事ができなくなるからである。

これらの人々は、『無明』によって覆い隠されてしまっており、故に『来世』はない、などと言うのである。」

国王は、裸体外道ウクナの法に執着しており、故に彼は、「来世」はないという話を聞きたかった。

彼は、ウクナの法を非常に好んだ。

というのも、もし来世がないのであれば、彼は、己の欲のままに生きることができ、また彼は、すでに、他人の妻を侵犯していたが故に;

彼は、この世に「梵天」が存在しているという事も聞きたくはなかったので、彼は、どこ吹く風のような、意に介さない態度を、取った。

(2-34につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<《基礎発趣論(業縁と果報縁)》 中国語版→日本語訳出 

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>