Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

般若の独り言~石の上にも

石の上にも3年どころか、8年かしらん。

私がこの九州の小さな盆地に越してきて、8年目になります。

国東半島での頼まれ事が、思いがけず早目に済んで、その後のんびり旅の途中、偶然見つけた古家に、一目ぼれ。

即決して、関東から、引っ越してきたものです。

実は、家に惚れたと言うより、環境に惚れたと言いますか・・・家の周り三方はあぜ道(法律用語で<里道>)で、後方は他人所有の袋地(道が無くて入れない荒地)。

車は入れない、人は通れない、恰好の隠れ家(現在築50年で、普通の民家。古民家タイプではありません)。

引っ越してきた当初、庭は、自生の蓬やミョウガで一杯でした。それを引き抜き引き抜きして、バラを植え、チューリップを植え、ユリを植え、ハーブを植え・・・。

緑の手を持つ人間が見ると、我が家の庭は、雑草の間に花が咲いているという感想でしょうが、これもまた風情があっていいものです(負け惜しみデス)。

100年前、台湾から神戸に移民してきた祖母は日本語も北京語も出来ない文盲で、漢字も平仮名も読めませんでしたから、肥料を買うなど思いもよらなかったのでしょうが、それでも菜園を作って、私たち孫に、季節の野菜を食べさせてくれました(農薬も肥料も使わなかったのですから、完全な自然農法だった訳です~笑)。

私は、園芸本を片手に、頭で考えながらやるので、ダメですね。

現実:理論=7:3くらいが、いいのではないですか。

そういえば、仏法もそのように思います。

アビダンマの理論は、あくまで他人の体験を集約したものであって、己が全く同じであるかどうかは、己を深く観察してみないと分からない。

人より先に、理論がある訳ではない。

キリストが<我々が律法の為に存在しているのではなく、律法が我々の為に存在している>と言って、ユダヤ教の律法優先主義を批判した事と、一脈通じますね。

   <緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>