Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

★飛び入り翻訳~《基礎発趣論(業縁と果報縁)》3-1(45/100)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

第二章 業縁と果報縁(二)

持戒と布施

次に、「業縁と果報縁」について、詳しく説明する。

三宝門の内、もし「業と業果」について、善く掌握しないのであれば、どのような事柄も、目標に到達することができない。

あなた方法師は、法師であるならば、必ず「業と業果」について、よく理解しなければならない。

そうして初めて、善法の内に生きることができる;

三宝を護持する優婆塞、優婆夷たちもまた「業と業果」を、理解しなければならない。

一般的に、仏教徒は「業と業果」について、よく理解しておらず、また理解しようとはしない。

故に、彼らは、己のなすべき事について、ただ布施をすればよいのだと思い込んでおり、「業と業果」のうちで、布施よりも大事な事は、持戒であるという事を、理解しない。

実際、我々は、いついかなる行動においても、たとえば、売買、商売、人的交流などにおいて、みな持戒が、基礎となっているのである。

戒の基礎の上に、己の出来る範囲で、または己の興味のある事柄について、布施をするのであれば、その感得する所の果報は、更によいものになるであろう。

もし、ある人が、完全に持戒をしておらず、もっぱら布施だけするのであれば、このような人が(未来において)生を得て善に趣く事は難しいと思われる。

善心の重要性

私個人は、常に、以下のように考えている。

法師たる我々は、時代の要求に従って、法義を教授しなければならないし、また、そのような心がけをもって、授業をしている。

先ほど、法師方が朗誦した偈頌の中に、もし、持戒を修行の基礎にしないのであれば、その修行は進展しないであろうと、述べられている部分があった。

持戒とは、仏法を学ぶ基礎である。

三宝のうちにおいては、善心をば、まず尊ぶべきである。

善心がないのに、出家するという事は、間違った行為である。

比丘になりたい人も、沙弥になりたい人も、善法を生じせしめる事のできる善心を、第一におくべきである。

まず、善心が第一である事。

しかし、善心をもって、何をなすべきか?

二番目に来るのは、持戒である。

10番目になって初めて、経典の研究が登場するのである。

一般の人々もまた、このようでなければならない。

己自身に、善心が生じるよう、努力しなければならない。

貪心が重い人は、己の貪心を減らすよう学び、努力しなければならない;

瞋心が重い人は、己の瞋心を減らすよう学び、努力しなければならない。

驕慢(māna)心が重い人は、己の驕慢心を取り除く努力をし、また嫉妬心(issā māccahariya)も、それが無くなるまで、努力しなければならない。

これが実践できて、初めて、「善」の心(+を持った)という事が出来る。

この善心の基礎の上に立って、己の能力の範囲内で、出来るだけ布施をする事、特に、貧苦の人々に対して、布施をするのがよい。

先に布施による福を修し、その後に、その他の法門を修習(bhavana)をする。

(3-2につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<《基礎発趣論(業縁と果報縁)》 中国語版→日本語訳出 

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>