南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

★飛び入り翻訳~《基礎発趣論(業縁と果報縁)》3-2

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

業力は我々と共に

(あなた方が)いまなお、修行と学びの順序を理解しないので、私は、「業」が如何にして「業果」を形成し、また「業力」は、如何にして我々に付き従うのかを、説明する。

(+あなたが)造(ナ)した功徳と非功徳ーー業はすなわち「思心所」であり、それは生起し、その後に、消滅する。

今、私は、善意に満ち溢れた思心所でもって、みなさんに説法をしているが、その説法の過程自体において、思心所は、不断に生起しては、滅し去っていく。

後ほど、私が、己の住まいに戻った時、この思心所は、ほとんど滅し去って、継続する事は、ない。

ここにおいて、思心所という業は、どのようにして、衆生をして、新しい生命を齎しめるのか?(+という疑問を提起する)。

この現象は、多くの人々に疑問を抱かせ、多くの人々は、この疑問を、解決する事ができないでいる。

前に私は「善速行心」(kusalajo)と「不善速行心」(akusalajo)について述べたが、速行心は、他の心とは違って、それは非常に強烈なのである。

たとえば、熟睡している時の心は「果報心」(vipākacita)というが、果報(vipāka)は、前世の業によって生じた果報の事である。

(3-3につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<《基礎発趣論(業縁と果報縁)》 中国語版→日本語訳出 

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>