Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

★飛び入り翻訳~《基礎発趣論(業縁と果報縁)》4-12

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

時、地、人を衡量する必要性

何かの事柄を為すとき、まずは先に「時節因縁」を観察しなければならない。が、この「時節」とは、一人ひとりの個人でいえば、「時節成就」に相当しないであろうか?

次に観察しなければならないのは、己と交流し、付き合う事になる「人」である。

すなわち、この人と付き合って、己自身に利益があるかどうか?を衡量しなければならない。

「人」の自然親依止縁は、相当大きな影響力がある。

仏陀のような偉大な人物は、非常に多くの衆生が解脱するのを助けたものである。

それに反して、一人の悪劣な指導者は、人々に種々の苦悩を齎す。

故に、我々は、時機と、共に集う人々を衡量し、比較しなければならない。

最後に、「処所」(=場所)も観察しなければならない。

このような所処は、我々にとって、得るべき利益があるであろうか?

このような国家は、このような利益を得ることができる;

あのような国家は、あのような利益を得ることができる。

以上の種々の事から、我々は、如何なる事柄を為すにしても、「時節」、「処所」と「人」を衡量しなければならない事が、理解できるのである。

ひたすら業のみを、信じてはならない。

この一生の「業」が、齎すであろうエネルギーは、非常に小さい。

上述した様に、一本の樹木が成長する因と縁は、一粒の種だけに求める事はできない。

もし、種だけがあるのだとしたなら、我々は、それが大樹に成長することを、期待することはできない。

種は主因ではあるものの、誰かが種を蒔かねばならず、充分な陽光、空気、水分も必要であり、また、不断に肥料を施し、面倒をみなければならない。

これらの因と縁の条件が具足した時、樹木は初めて成長し、葉も繁るのである。

その後、開花するべき時に開花し、結実するべき時に結実する。一切は、時節、処所、人等の多くの因と縁の条件を斟酌して初めて、よい成果と収穫が得られるのである。

己の命運がよい(業がよい)と思って、火坑に飛び込んではならない。

もし、あなたが火坑に飛び込んだならば、必ずや火傷するに違いない;

猛獣の虎がいる所に近づいてはならない。

己の業力によって、そこへ行く理由が分かっていて、そこへ出向いたとして、虎がお腹を空かして、あなたを食べ物だと思ってかみ殺した時、己の運命を呪ってはならない。

ある種の人々は、ある種の観点に固執して、一切はすべて業である、と主張する。

良いのも業、悪いのも業。

しかし、ひとたび、不幸が発生するや否や、すべては業ーー運命のせいいする。

というのも、彼の業(運命)が良くない為に、不幸が発生する。他の人々は不幸な運命を持ち合わせていないのだ(+等と言う)。

(+こういう人物は)他人には、智慧加行、精進加行が具足していて、なんでもかんでも業(運命)のせいにはしない事、また、己自身の智慧、精進が、いかに薄弱であるかを知らない、のである;

皆さんは、業力だけを信じるのは止めて、智慧と精進の加行もまた、運命を変えるキーポイントである(事を知るべきである)。

(4-13につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<《基礎発趣論(業縁と果報縁)》 中国語版→日本語訳出 

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>