Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

★飛び入り翻訳~《基礎発趣論(業縁と果報縁)》4-13(95/100)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

神は君を助けるか

もし、一人の人の、その業力があまりよくない時、また運気もよくなく、智慧もなく、怠惰で精進もしないのであれば、この様な人間は、神も助けないであろう。

神が、彼を助けたいと思ったとしても、このような成果を期待できない人物に力を入れても、先天的な善の業力に欠け、また、後天的な加行の力も備えいていないのであれば、神の名誉を損なうばかりである。

もし、運命が良く、智慧があり、また精進する事を知っている人間であれば、神は喜んで、彼を助けるであろう。

一人の愚かな人間は、彼に三本の矢(=緬甸の、希望を叶える三本の矢の物語による)を上げたとしても、何等の結果も出す事ができない。

故に言う:

業霉智浅、自暴自棄、神不助之。

愚かで無知な人間

大多数の愚かで無知な人間は、運命がある事、智慧、精進の存在を、信じることができない。

愚かで無知な人間は、世間の出来事は、すべて得か失、成功か失敗しかなく、それらは、毘湿奴天王が決めているのだと思っている。

愚か者は、誰かと誰かが結婚するのは、婚姻の神、キューピットが決めたものだという。

これは出鱈目な言いぐさであり、そういう事はあり得ない!

これは愚か者の認識である。

実際はすべて、男性と女性双方の、思考と判断と努力によって進行したものであり、それこそが、婚姻の結果なのである。

(4-14につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<《基礎発趣論(業縁と果報縁)》 中国語版→日本語訳出 

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>