<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
こうしたことから、禅の修行者は、心を過去と未来の俗念に向かい・漂わせてはならない。
この種の妄念は、疑いもなく、煩悩にコントロールされ、修行の障碍になるが故に。
禅の修行者は、(+己の心をして)内部に向けせしめ、内心の世界を覚知しなければならない。
煩悩の影響を受けて、外部に縁を求め、外部世界に注意力を向けるものではない。
これは非常に重要な点である。
多くの禅の修行者が、満足できる成果を得ることができない主要な原因は、彼らの修行に対する基本的な原則が堅固でないが為である。
私は通常、弟子に対して、非常に明確な、修行目標を擁するように、と指導する。
禅の修行においては、明晰で具体的な専注点が必要であり、このようにして初めて、彼らは良好な成果を獲得することができる。
(1-4につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。ご協力、よろしくお願いいたします。
<『阿羅漢向・阿羅漢果』 中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>