南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

『阿羅漢向・阿羅漢果』1-13

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

<その時から私の奮闘は始まり・・・>

そして、その頃から、私は夜通し、すなわち、夕方から明け方まで、座禅・瞑想するようになった。

ある日の夜、私はいつもの通り、己の内部に向けて専注していた所、それ(=心)がすでに良好な、また、堅固な基礎を打ち立ててあったのが原因で、心は、軽々とサマーディに入って行った。

心は、定の中で休んでいさえすれば、外部にある身体の感受を覚知する事はないが、私が数時間の定の中から退出した後は、それを十分に覚知する事はできた。

暫くして、私の身体は、忍従しがたいほどの、激痛を覚えるようになった。心は突然、力を失い、あの良好で堅固であった基礎は崩れ去り、身体全体は痛みの為に、小刻みな震えが、やって来た。

結果、これより先、暫くは肉弾戦となったが、最後に私は、禅の修行における重要な技巧を発見する事となった。

思いがけず、激痛を発症したあの夜より以前、私は夜通し座禅・瞑想しようとは思わなかったし、そのような祈願もたてたことはなかった。

私はただ、通常と同じように、座禅・瞑想したかっただけであったが、しかし、身体の激痛に溺れそうになった時、私は思った:

「えっ、一体何が起こったのか?

私は一晩かけて、この痛みとは何かを探求してみよう」

私は一つの大きな祈願をした。

たとえ何事が発生しようとも、私は夜が明けるまで、決して座禅・瞑想を止めはしない、と。

私は、激痛の本質とは何かを点検し、その本質を理解しようと決意した。

私は深くそれらを掘り下げたいと思った。

もし、必要があるのであれば、私はこの激痛の真相を見つけ出す為に、命を投げ出してもよい、と思った。

智慧が、この問題に応答してくれた。

これより以前、私は激痛の為に、己の退路が断たれたと感じていたが、智慧というものが、それほど鋭利である事には、思いもよらなかったのである。

ひとたび私が(+座禅・瞑想を継続する事を)始めると、智慧は、決して諦めない、投降しない戦士のように、決して休むことなく、激痛の根源に向かって、探査を繰り広げたのである。

今回の経験から、私は深く信じるようになった・・・真正なる危機に出会った時、智慧は身を呈して、前面に出て来て、挑戦してくれる事をーー我々は、定まった運命の中で、永遠に愚かで無知である必要はないーー真正に危機が極った時、我々には、解決の方法を見つけ出す能力がある。

あの日の夜、この状況が、私の身の上に起きた。

激痛に溺れて、絶望の境地に入りかけた時、念住と智慧が、痛みの中に分け入ったのである。

(1-14につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<『阿羅漢向・阿羅漢果』 中国語版→日本語訳出 

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>