南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

『阿羅漢向・阿羅漢果』1-47

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

それの本性が、はっきりと、明確に知られるまで、鋭利で、直接的な智慧によって観察すれば、この現象は、完全に予期していなかった方式でもって分解され、崩壊する。

この時の開悟は、”菩提樹下の証悟” または ”輪廻の墳墓の徹底的崩壊” と言うことができる。

そして、全くの疑いの余地の無い、証悟と確信が生まれる。

光明の中心が分解されたその刹那、ある種の、更に非凡なるーー過去においては、無明によって覆い隠されていたものーーが、暫くすると、全面的に顕現してくる。

心の中において、それは、強烈な振動が、宇宙全体を、揺らしているかのように、感じられる。

心が一切の世間的事実の相から分離されたこの重要な一刻、描写する事が難しい震撼と、荘厳が存在する。

まさにここ、ここにあるーー無明が最終的に消滅するその一刻ーー阿羅漢道は、阿羅漢果に転化する。

道がすでに、円満に完成する時、すなわち、阿羅漢の果位を、証悟したのである。

法と心は、すでに円満を証得した。

その時から、すべての問題は滅し去った。

これが涅槃の本性である。

我々が想像していた、あれほど人をして敬慕・畏怖、驚嘆させる所の本質が、最後に分解された時、ある種の不可思議が、全面的に生起したが、その本質は、徹底的な清浄であった。

それと比較してみるに、我々がかつて、あれほど敬慕・畏怖し、緊密に執着していた無明は、まるで牛糞のようであり、無明によって覆い隠されていた所の本質は、純金のようであった。

どのような幼児であっても、牛糞と黄金のどちらが貴重であるかは、分かるのであって、故に我々は、今頃になってみっともなく、その両者を比較する必要もないのである。

無明の分解は、阿羅漢道と阿羅漢果が同時に、それらの終着点に、到達する事ができるのだ、ということを現している。

たとえば、階段を登って、部屋に入るのを例にして比較するならば、片方の足が、部屋の中の地面についていて、もう片方の足がいまだ階段の上にあるのであれば、我々の両足は、いまだ部屋に入った、とは言えない。

唯一、我々の両足が、しっかりと部屋の地面を踏みしめた時、我々は初めて、”家に到着した” と言える。

心の両足が、至高で、無上の法の上に、しっかりと根付いた時、それが ”法の証し” である。

涅槃の殊勝さを証得し、証悟したその時から、心は、徹底的に自由になる。

それは二度と、煩悩を滅し去るための活動をしない。

これは阿羅漢果:阿羅漢の果位である。

それは唯一、煩悩からの解脱者ーーあれら有余涅槃を証得し、かつ生きている阿羅漢--によって体験されるのである。

色、受、想、行と識に至っては、それらはただ、同時に生起し、滅し去る状態、自然的現象にすぎず、如何なる方式をもってしても、心を攻撃したり、心を汚染したりする事はできない(+事が知れる)。

色、声(音)、香、味と触もまた同様で、それらは各自各々の事実であり、それらの存在は、すでに心に、問題を齎すことはない。

これより以前、無明が心に対して、錯誤的な認知を引き起させていたが、今、心は、無明より解脱した。

今、心は、真相を十分に覚知して、それはそれ自身が知っている真相を知っていると同時に、また、内外における、一切の自然現象の真相をも、知っている。

それらは、それぞれに、別々の真実を擁しており、それ以前にあった、彼此の間の矛盾は、二度と存在しなくなり、それぞれが、各々己自身の道を歩むようになった。

この段階において、煩悩と心の間の、長期に亘る衝突は、すでに過去のものとなったのである。

このように真理が明白になると、心は五蘊の生と死に対して、二度と憂慮したり、危惧したりしなくなった。

心はただ、五蘊の活動ーーそれらがどのように生起し、どのようにお互いに影響を及ぼし合い、どのように滅し去るのか、また、最後の死亡の時、それらがどのように分離するのかを、認知するだけである。

心の、知る、という根本的特性は、永遠に不死であるが故に、死を恐れる事はない。

死亡がやってきた時、彼は死亡を受け入れる;

生きている間、彼は生命を受け入れる。

両者は同一の真理の、二つの側面なのである。

(1-48につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<『阿羅漢向・阿羅漢果』 中国語版→日本語訳出 

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>