『阿羅漢向・阿羅漢果』3-7
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
アチャン・マハー・ブーワは、これまで動揺した事がない。
世界中の人間が吠えたとしても、私は私の心内の言葉を語るし、(+彼らからの)影響を、受けることはない。
法の清浄なる本性は、世間の一切によって、動揺することがない。
あれら、行為・行動の相応しくない人間は、相応しくないままに生きていく;
あれら、利益の損失に敏感な人間は、損失のために生きていく;
あれら、利益の受益に敏感な人間は、受益のために生きていく;
善行に影響を受けた人間は、善行に帰依する。
一人の人間は、善業によって、(+次の世に)生まれ変わる。
一人の人間が、悪行の影響を受けたならば、その人間の心は、猛火の中で生きていくことになる。
これは、あなた方の欲する生き方であるのか?
仏世尊の教えは、永遠に正しく、彼は大声で宣言した:
”貪愛と無明が、世間に充満し、
炎の中で燃えているようだ。
嬉しいこと、楽しくて笑いに値するものなど、
どこにもない。
世間は暗黒によって覆い隠されているのに、
人はなぜ、光明を追い求める事をしないのか?”
よく聞くように!
私が教える法もまた同様である:
”貪愛と無明・・・”
あなた方全員は、一体どのように精神を病んでいるのか。
仏世尊が:
”貪愛と無明・・・”
と宣言する時、一群の酒鬼(=よっぱらい)たちが話をするのが聞こえたそうだが、あなた方は、あれら酒鬼の後塵を、拝しているのだ。
仏陀が弘法する時、彼らは一群の酒鬼であって、聖賢たちではなかった。
この話は、経典にも載っている:
仏世尊は、一群の酒鬼を比較してみて、彼らの違いを思惟してみた。仏陀の叱咤を受けても、彼らは依然として、己自身の錯誤に気が付く事がない。
(3-8につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<『阿羅漢向・阿羅漢果』 中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>