南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

『阿羅漢向・阿羅漢果』3-7

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

アチャン・マハー・ブーワは、これまで動揺した事がない。

世界中の人間が吠えたとしても、私は私の心内の言葉を語るし、(+彼らからの)影響を、受けることはない。

法の清浄なる本性は、世間の一切によって、動揺することがない。

あれら、行為・行動の相応しくない人間は、相応しくないままに生きていく;

あれら、利益の損失に敏感な人間は、損失のために生きていく;

あれら、利益の受益に敏感な人間は、受益のために生きていく;

善行に影響を受けた人間は、善行に帰依する。

一人の人間は、善業によって、(+次の世に)生まれ変わる。

一人の人間が、悪行の影響を受けたならば、その人間の心は、猛火の中で生きていくことになる。

これは、あなた方の欲する生き方であるのか?

仏世尊の教えは、永遠に正しく、彼は大声で宣言した:

”貪愛と無明が、世間に充満し、

炎の中で燃えているようだ。

嬉しいこと、楽しくて笑いに値するものなど、

どこにもない。

世間は暗黒によって覆い隠されているのに、

人はなぜ、光明を追い求める事をしないのか?”

よく聞くように!

私が教える法もまた同様である:

”貪愛と無明・・・”

あなた方全員は、一体どのように精神を病んでいるのか。

仏世尊が:

”貪愛と無明・・・”

と宣言する時、一群の酒鬼(=よっぱらい)たちが話をするのが聞こえたそうだが、あなた方は、あれら酒鬼の後塵を、拝しているのだ。

仏陀が弘法する時、彼らは一群の酒鬼であって、聖賢たちではなかった。

この話は、経典にも載っている:

仏世尊は、一群の酒鬼を比較してみて、彼らの違いを思惟してみた。仏陀の叱咤を受けても、彼らは依然として、己自身の錯誤に気が付く事がない。

(3-8につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<『阿羅漢向・阿羅漢果』 中国語版→日本語訳出 

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>