南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

『阿羅漢向・阿羅漢果』3-8

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

私が最近流した涙は、仏世尊と同じことを伝えている。

あなた方は、引き続きこれから先も、己自身の錯誤に気が付かないのであれば、一体どうなると思うか?

あなた方の心智は、酒鬼より劣っているというのだろうか?

堕落したくないのであれば、あなた方は、この問題について、己自身に自問しなければならない。

私は、己自身の最大の能力を発揮して、この社会に協力したいと思っている。

私の心の中には、勇敢とか、恐れとかの、感覚はない;

いわゆる得失もなく、勝ち負けもなく、私があなた方を手助けする動機は、純粋に慈悲の心から来ている。

私が現在、あなた方に教えている所の、無上の甚深なる法を証悟する為に、私は一切を犠牲にしたが、その犠牲は、決して悪果を得るためではなかった。

求法の過程において、私はほぼ生命を犠牲にしかけたし、世間に対して、私が証得した所の法を宣揚することができるようになる以前、私は死のすぐ側にいたのである。

なぜ、それ(=法)を受け取ろうとする人がいないのか?

今日のタイという国は、一体どうなってしまったのか?

この事を私は知りたいと思う。

一人の人間の、自我の思いが、強ければ強いほど、人は、ますます傲慢になるーー最後には、彼らは、己自身が仏より偉いーー至高で無上の導師より、なお己の方が、聡明なのだと思ってしまう。

この国の子・民は、これほど愚かになってしまった。

誰も法に関心を寄せない!

天は知っている。

これから先、多くの人々は、寺院に行かなくなるであろう事を。

彼らの、私の最近の弘法に対する反応を、みてみたまえ。

各種の風刺的な態度と、嘲笑があるが、これはまさに、煩悩が全面的に威力を発揮した状況なのである。

あの日、私が涙を流すのを見て、彼らは私を冷たく嘲笑した。

しかし、私はこのことによって動揺する事はない。

この国全体が、私を批判したとしても、私は誰とも喧嘩をしない。

私は純粋に慈悲の心から、人々を教導しているが、なぜ、彼らはそれを受け入れられないのであろうか?

タイの人々はそれほど愚かなのであろうか?

(3-9につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<『阿羅漢向・阿羅漢果』 中国語版→日本語訳出 

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>