<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
仏世尊の法は、この世間から、滅し去ったのか?
仏世尊の法は、その崇高な地位を、失ってしまったのか?
あれら修行者たちーー仏陀の教法に従って、その結果、証悟した人たちは、虚妄の神、または人々の敵と、見做されるようになったのか?
どのようであれ、私は誰にも、腹を立てる事はない。
私の話し方に、強烈な評論を含まれるのは、法の力から、来ている。
法は、動揺することがない。
法は、如何なる人にも怒らないし、恨んだりはしない。
しかし、法は、永遠に力強く満たされた力で以て、己自身を顕現する。
煩悩は、このように言う事も出来る:
彼らもまた、己自身に擁する力で以て、己自身を顕現する、と。
煩悩の力は、世間に恐ろしい破壊を齎すが、法の力は、水のようで、それは世間の火を鎮め、清凉にする。
あなた方は、私が、怒りにまかせて話をしていると思うのか?
憤怒はどこから来ると思うのか?
憤怒は、煩悩からやって来る。
一人の、すでに煩悩から徹底的に解脱した人間から言えば、あなたは、彼を怒らせることはできない。
信じられないのであれば、あなた方は試してみてもよい。
彼の心内には、すでに、根本的に恨み・憤怒というものがない。
もし、少しでも恨み・憤怒があるというのであれば、彼は、煩悩を解脱した阿羅漢である、と言われることはない。
というのも、貪、瞋、痴(=無知)は、煩悩であるが故に。
理解できますか?
上記の事柄をよく考えたならば、あなた方は(+真理を)理解する事ができるに違いない。
この色身は、完全に世間的事実である。
もし、心の清浄なる本性と、直接関係を保てるならば、色身は清浄なる心の影響を受けるが、これが自然というものである。
(4-1につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。ご協力、よろしくお願いいたします。
<『阿羅漢向・阿羅漢果』 中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>