『阿羅漢向・阿羅漢果』4-1
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
付録:心ーー意識の知るという根本的特性
以下は、アチャン・マハー・ブーワの、幾つかの異なる開示の中から採録した所の、心の特性に関する評論である。
<最も重要なのは心である>
意識の、知る、という根本的特性、それは、純粋かつ清浄の、簡単な覚知によって構成されているーー心は、ただ、知る、のである。
善と悪の覚知、及び、随時に行っている所の判断は、心の活動による。
ある時には、ある種の活動は念として顕示され;ある別の時には、智慧であったりする。
しかし、真正なる心は、完全に、活動またはいかなる状態をも、顕示する事が無い。
それは、ただ、知る、のである。
故に、心から発する所の活動、たとえば、善と悪と、楽と苦、毀誉褒貶の覚知は、すべて、心から流れ出る所の意識状態に過ぎない。
それは、心の活動と状態を代表しているものの、この類の意識の本質は、不断に生起し、また滅しさるものであって、終始、不安定の中にある。
それゆえに、それは、頼りにならないものなのである。
(4-2につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<『阿羅漢向・阿羅漢果』 中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>