では次に、パオには本当に、ソータパ(ン)ナが一人でもいるのか?というご質問。
私の体験を、お話しましょう。
20年前、私が緬甸はモーラミャインの、パオ本山で修行していた時の事。
私たちは、朝と昼の二回、托鉢に行きます。
托鉢と言っても、院内托鉢です。
500人から、時には800人(雨安居などで)くらいが、一斉に村に押し掛けると、村人が大変なので、食事は基本、院内托鉢です。
食材は外部からのお布施ですが、僧院には台所があって、食事自体はお寺で、寺男が作ります。500~800人分作るのですから、毎日大変です。
私たち女性修行者は、山の麓に住んでいて(比丘方は山上)、事務所脇の配膳室(雨避けに、頭上に屋根を掛けた、長い廊下)で、托鉢します。
その時、若いサヤレーたちが、私たち修行者(麓にいるのは200人くらい)の鉢に、食べ物を入れる係を、担当します。
私は、日本の浄土宗系の尼僧方の連想から「若いサヤレーたちは、行儀見習いでもしているのか?」と思って、ある人に訊ねてみました。
答えは以下の通り:
「彼女たちは、全員、チューラ(小さい)・ソータパナなのです。チューラですから、本物のソータパナよりは、ちょっと手前。
でも、もう凡夫へ後戻りはしないレベルまで来ていますから、修行の手を緩めて、あなた方、修行がちっとも進まない人たちが、少しでも前進できるように、彼女たちは、あなた方に代って、雑用を引き受けているのですよ。」
私「・・・(赤面)」
パオでは、修行者(当時は出家、在家を問わず、台湾人、マレーシア人、韓国人等の外国人が多かった)に、チューラ・ソータパナが、食事の下ごしらえや配膳などの、身体による布施をしているのでした。
パオ森林僧院(国内分院・海外分院を含む)で、何千人、何万人に上る修行者に、瞑想指導されているセヤドー、サヤレー方は、それ以上でしょうか、それ以下でしょうか?
パオには、ソータパナが一人でもいるのか?という質問にお答えしました。現実はどうなのか?ご自分で判断されて下さい。(終)
<緬甸パオ森林僧院森/ヤンゴン分院/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>