中国語の仏教書を翻訳していると「芸々衆生」という言葉が出てきます。
特に、今翻訳している《Vipassanāハンドブック》では、度々出てきます。
直訳的な意味は「多種多様な衆生」ですが、「十人十色」とも、訳せそうです。
私は子供の時から、仏教が好きでしたが、70になる今、
本当に衆生と言うのは、一人一人の顔が異なるように、
全員、性格が異なっていて、同じ事件を聞いても、その受け取り方、反応は百人百様であり、また、それぞれ興味の方向も、360度全方位的に異なるのだなぁ、と感慨深い。
70目前まで生きて、深く思う事は、他人を変える事はなかなか難しいという事(自分自身、変わるのが難しいことは自認しています)。
長い劫の内に積み上げてきた心の習慣、業はなかなか変えられない。
台湾では仏教に帰依して修行に励むのを<如来の重責>
<逆巻く河を遡る仕事>といい、それは非常な決意のいる、難行であることを意味しています。
正念(サティ)が強くなって、己の心の悪い癖が出た時に、すばやく気が付いて、それを放り出すか、うるさく付きまとって来る時は、それを相手にしないか、それが心の浄化の第一歩、業の浄化の第一歩のように思います。
ゴータマ仏陀が「私は涅槃への道を指し示すけれど、私があなたを連れて行く訳ではない」と言ったのは、たとえ
仏陀であろうとも、他人の業を変えることは至難の業だという事を、深く深く、知っておられたのでしょう。
誠に、縁無き衆生は救い難し。
<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>