<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
我々は理解することができる:笑う、微笑する、喜ぶ、悲痛、悲哀、悲嘆、呻吟、泣く、貪婪、恨む、信頼するなどなどによって生じる所の、一つひとつの蘊は、みな、その始まり、中間と終了がある事を。
話すことも同じであって、一つひとつの会話には、始まりがあり、中間があり、終了があるが、それらは皆、刹那に生じ、刹那に滅している。
温度(火大)によって生じた物質は、気候の暑い時、我々は団扇で自分を扇ぐが、我々の団扇が毎回動くたびに、諸蘊もまた同時に生・滅しているのである。
同様に、我々が沐浴する時、受蘊が受け取る、涼やかな感受は、生・滅するのである。
通常、我々が疲れ、疲労する時、不快を感じている諸蘊もまた、生・滅している。
この種の生・滅は火大によって生じるのである。
食べ物の冷熱によって、我々は体質の変化は、火大が引き起したものであることを発見することがある。
疾病の生起、また重病化と治癒は、ある時には食事の不適切によって生じたり、薬物によって引き起こされたり、また温度(火大)のせいであったりする。
心によって生じた諸蘊であっても、温度(火大)の為に、多くの変化を齎すものである。
(20-8につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<《Vipassanāハンドブック》(原題 Vipassanā Dipanī)
Ledī sayādaw著 中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>