《Vipassanāハンドブック》22-4(F)
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
心法の方面もまた同様であり、もし、心識の変化を観察する事が出来たならば、心所の変化もまた同時に観察する事が出来る。
特に、心法のうちの、受、想、行など等と、色法のうちの色、香など等、これらは内観(vipassanā、以下同様)の所縁境(対象)となる。
というのも、それらは、禅修行者をして、非常に快速に、軽易に、無常随観智を、獲得せしめるからである。
しかしながら、哲学の観点から言えば、内観の智慧を証得するのは、たとえば、「衆生」、「人」、「我」、「生命」、「永久」、「楽」などの概念を取り除く事、かつ顛倒妄想を取り除く為である。
内観の智慧を獲得する事が出来るかどうか、その大半は、三法印を正しく理解しているかどうかにかかっているが、三法印(三相)に関して、本文では、すでに充分に説明した。
以上が、度遍知(tiraṇaparññā)に関する説明である。
(23-1につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<《Vipassanāハンドブック》(原題 Vipassanā Dipanī)