<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
(4)・・・(己自身の)目で思念しない、女人の目をみない、壁の外の女性、壁を隔てたところにいる女性の笑い声、話し声、歌う声または泣く声を聴かない・・・。
(5)壁の外、壁を隔てて女性の笑い声、話し声、歌う声、泣く声を聴かず、過去を追憶して、女性との上記の体験を思い出したりしない・・・。
(6)過去を追憶して、女性との上記の体験を思い出したりしないものの、超長者や長者の子に会った時、五種類の妙欲の享受を具備し・・・。
(7)長者に会っても、長者子に会っても、五種類の妙欲の享受を具備しなくても、某天衆になる事を希望して修行するのは、すなわち、”私はこの戒、禁戒、苦行または梵行でもって、天人または某天の一になる”(と言う)。
彼はこの事を喜び、これを求め、この事を喜楽とする。婆羅門よ。これは梵行の破壊であり、切断であり、斑点と雑色である。
婆羅門よ。
これを、不清浄の梵行と言う。
淫欲に結縛されることに相応しており、私は彼は、生老病死、愁、悲、苦、憂、悩から解脱できない。諸々の苦から解脱できない、と言う』
(5-12につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律ハンドブック」
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>