10月14日、福岡ダンマセンターの勉強会に講師として顔を出しましたら、「駅に貼る宣伝ポスターが出来ました」と言って、上質紙に印刷された、私の顔写真の載っている、勉強会の案内ポスターを見せて頂き、10枚ほど頂いて帰りました。
私は、自分から積極的に布教活動をする方ではありませんが、早速、大阪在住の大姉に一枚送りました。
私は小さい時、子供のいない大阪の親戚夫婦に、里子としてもらわれた事があります。
大姉に聞くと、4歳の時だそうです。
私は、私を迎えに来た親戚の叔母さんの背中で「行きたくない!」と大泣きして、その内眠ってしまい、気が付いたら電車の中だった、というのは、今でも覚えています。
大阪の叔父・叔母さん宅につくと、何日かして、彼らの経営する商店巡りをしました。
その内の一つにパチンコ屋さんがあったのですが・・・。
4歳の私は、チン・ジャラ・・・というお店一杯に響き渡る遊興の音を聞きながら、こう思いました:
「私は大阪で、この叔父さん、叔母さんに育てて貰ったら、恩返しとして、彼らの店を相続して、彼らの老後の介護をしなければならない。」
「それは困る。私にはミッションがある、大志がある。
私は、親戚夫婦の老後を看るために、生まれたわけではない。私にはもっともっと、大事な用事がある」
「そうだ、一刻も早く神戸の実家に帰ろう」
そしてその日から、私はハンスト(正確には、ご飯は食べて、夫妻とは会話しない、無言の行)をして、半年後、無事、神戸の実家に帰ってくることができました。
親戚夫妻曰く「この子は懐かないので、お返しします」(笑)
夫妻はその後、0歳児の男の子を養子にしたそうです。
「あなたの、余りの強情に懲りて、次は新生児にしたのでしょう」とは、一部始終を見ていた大姉の言。
大姉が、私の<サヤレー(尼僧)姿のポスター>を見たら、<パチンコ屋のおかみ>になりたくなかった妹の心を、理解してくれると思います。
次回は、3歳の時の輪廻の記憶、5歳の時の初発心について書きます。