では次に、10歳の時の、不思議な光の体験話。
私は、台湾から移民してきた父母の下に生まれた在日台湾人ですから、小学校に上がる時に、親が大変に悩みました。
自宅の目の前にある日本の小学校に行かせるか、JR(当時は国鉄)に乗って3駅、子供の足で20分ほど歩かねばならないチャイニーズ・スクールに行かせるか(当時、チャイニーズ・スクールは戦争の為に校舎を失い、日本の公立中学校の半分を借り受けて、運営していた)。
チャイニーズ・スクールは私立ですから、学費も高いし、給食も出ないし、親の負担は半端ないです・・・。
大姉の勧めもあって、また私自身、中国人の学校へ行きたいと思い、そのように希望した事もあって、結果的に、チャイニーズ・スクールに行く事になりました。
みなさん想像できないかもしれませんが、この学校、一歩足を踏み入れると、日本語禁止、北京語のみで会話し、授業します(当時、日本語教育は五年生になってからでした。父兄の希望もあって、今は三年生から、始まるそうです。)
私が小学三年生、10歳の時の担任は、遊仁淑先生といい、ご本人も、日本語が全くできない。天津からきた女性で、いつも簡素な木綿のチャイナドレスを着ていました(脇、そんなに割れてません~笑)。
この先生が、小学三年生の私たちに世界地理を、中国語で教える訳ですが、ある日、彼女が黒板に「中国の周りに存在する国々は、越南国、柬甫塞(jian bu zai カンボジア)、泰国、緬甸(mian dian ミャンマー)、・・・」と順に書いて行った訳です。
子供に、こんな難しい漢字が分かるのかどうかお構いなし、だって、彼女自身、日本語で説明できないのですから(笑)。
それがなんと、遊先生が、黒板に<緬甸>と書いた瞬間、黒板が光ったのですよ。
私は<緬甸>が私を手招きしているように感じて、能天気に「ああ、大人になったら緬甸に行こう」なんて思っていました。
テーラワーダを学びに、先にタイに行き、実際に緬甸(パオ森林僧院)に行った時は、すでに50歳近くなっていました。
10歳の時の夢が、50歳で叶う。
自分の行く道が間違っていなければ、誰かが必ず見守っていてくれる・・・老境になった今、いつもそんな風に感じるのです。
<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>