<daṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
もし我々が、上記の事柄を理解したならば、《大念処経》が実際には、止・観の修習を指導・教導するものであり、かつ vipassanā に重きを置いている経典であることが分かる。
業処、パーリ語 kammaṭṭhāna は、心が仕事をする場所という意味であり、また心が専注する所の、所縁でもある。
当該の経は、合計21種類の業処を教導するが、これらの業処は、またその性質に従って四つに分類することができる。
すなわち:身、受、心、法であり、四念処でもある。
こうしたことから、”四念処” であっても ”21種類の業処” であっても、みな心念が専注する所の所縁であり、(+それらは)観智による観照の所縁によって、分類されているのである。
Vipassanā について言えば、経典の中では通常、仏陀は、正慧によって、五蘊、12処、18界、12縁起支等を如実に観照するように教え、教導している。
故に、四念処、五蘊、12処、18界、12縁起支等は、観智による観照の所縁であり、これらの所縁は、すべて究極色法または究極名法の二種類のみで構成される(+事が分かる)。
Vipassanā は、二種類の大業処に分類できるが、それはすなわち、
色業処(rūpakammaṭṭhāna)と
名業処(nāmakammaṭṭhāna)である。
もし、五蘊によって分類するならば、すなわち、色蘊は色法であり、受想行識蘊は名法に属する。
故に、四念処の修習とはすなわち、五蘊の随観であると言える。
その内:
1、身随観は色蘊の随観に相当する。
2、受随観は受蘊の随観に相当する。
3、心随観は識蘊の随観に相当する。
4、法随観の中の五蓋と七覚支は、想蘊と行蘊の随観に相当し、法随観の中の五蘊、12処と四聖諦は、すべての五蘊を随観する事に相当する。
(2-9につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。
<パオ・セヤドー著『涅槃証悟の唯一の道』 (原題「証悟涅槃的唯一之道」)
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>