<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
(+上で述べたように)色蘊は11種類の色法であり、受、想、行、識もまた、11種類の名法である。
それらは何故 ”取蘊” と呼ばれるのか?
というのも、それらは執着される対象であるが故に。
”取” (upādāna)に関して、仏陀の言う意味は、持続して愛する事を指す。有情は、各種の方式を通して、五蘊を自我として愛着し、また執着し、死後、己は壊滅するか、または永恒に存在すると考える。
故に、仏陀は、己自らによって証悟された智でもって、五蘊を完全に了知しなければならない、と言う。
それらは皆、苦聖諦に属する。<注2>
仏陀が前に引用した《楼閣經》で述べているが如くに:
”比丘たちよ。
もしある人がこの様に言うならば
’私は苦聖諦を如実に証悟しなくとも・・・完全に苦から離れることができる。’
この様な事は決して起こり得ない!”
<注2>:五取蘊=名色。名色(nāmarūpa)は、受、想、行、識と色蘊のみを指しているとも言えるし、五蘊である、ともいえる。
(3-4につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。
<『涅槃証悟の唯一の道』パオ・セヤドー著 (原題「証悟涅槃的唯一之道」)
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>