南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(3-6)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

苦集聖諦は断じ除かれねばならない

有情は五蘊に愛着し、執着するーーこれが苦集聖諦であるーーそれは断じ除かれなければならない。

仏陀は三種類の渇愛が、五取蘊の生々流転を引き起すと述べており、それはすなわち、欲愛(kāmataṇhā)、有愛(bhavataṇhā)、無有愛(vibhavataṇhā)である。

完全なる苦の滅に向かう過程とは、すなわち、この三種類の愛を徐々に減じ除いていく過程でもある。

最後に断じ除かれるのは有愛であり、それは阿羅漢道を証悟した時にのみ、無明と共に同時に完全に取り除かれるものである。

上に引用した《大六処経》のように、仏陀は無明と有愛は、己自身自らによって証された智によって断じ除かれるのである。

無明と有愛が、不断の再生を引き起す過程は、すなわち、縁起の順序(anuloma paṭiccasamuppāda)の通りである。

仏陀は《増支部・外道依処等経》<注3>の中で解説して以下の様に言う:

<注3>:仏陀は、この経の中で、己自身の教えと、三種類の、無作用を主張する所の、伝統的な流れの中にある(parampi gantvā akiryāya)、外道の学説とを比較している。彼らは、人々が経験するのは(1)過去に造(ナ)したが故(pubbekatahetu)。(2)神が創造したが故(issaranimmānahetu)。(3)無因であり、又無縁である(ahetu‐appaccayā)とした。

(3-7につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。

<『涅槃証悟の唯一の道』パオ・セヤドー著(原題「証悟涅槃的唯一之道」) 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>