<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
苦集聖諦は断じ除かれねばならない
有情は五蘊に愛着し、執着するーーこれが苦集聖諦であるーーそれは断じ除かれなければならない。
仏陀は三種類の渇愛が、五取蘊の生々流転を引き起すと述べており、それはすなわち、欲愛(kāmataṇhā)、有愛(bhavataṇhā)、無有愛(vibhavataṇhā)である。
完全なる苦の滅に向かう過程とは、すなわち、この三種類の愛を徐々に減じ除いていく過程でもある。
最後に断じ除かれるのは有愛であり、それは阿羅漢道を証悟した時にのみ、無明と共に同時に完全に取り除かれるものである。
上に引用した《大六処経》のように、仏陀は無明と有愛は、己自身自らによって証された智によって断じ除かれるのである。
無明と有愛が、不断の再生を引き起す過程は、すなわち、縁起の順序(anuloma paṭiccasamuppāda)の通りである。
仏陀は《増支部・外道依処等経》<注3>の中で解説して以下の様に言う:
<注3>:仏陀は、この経の中で、己自身の教えと、三種類の、無作用を主張する所の、伝統的な流れの中にある(parampi gantvā akiryāya)、外道の学説とを比較している。彼らは、人々が経験するのは(1)過去に造(ナ)したが故(pubbekatahetu)。(2)神が創造したが故(issaranimmānahetu)。(3)無因であり、又無縁である(ahetu‐appaccayā)とした。
(3-7につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。
<『涅槃証悟の唯一の道』パオ・セヤドー著(原題「証悟涅槃的唯一之道」)
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>