南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(3-13)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

例えば、仏陀は《増支部・証智経》(Abhiññā Sutta)の中において、以下の様に述べる:

”比丘たちよ。

どの様な法が、智の証得を通して、修習されなければならないか?

止と観である(注5)(samatho ca vipassanā ca)。

比丘たちよ。

これらの法は、証得された智でもって修習されるべき

(+法)であると呼ばれる。”

《増支部》の義註においては、証得された智でもって止を修習するという意味は、一境性(cittekaggatā)を育成する事である、と説明する。

それは定(samādhi)に相当し、またすなわち、《清浄道論》で言う所の心清浄(cittavisuddhi)であり、それは八定(aṭṭha samāpattiyo)と呼ばれる所の、四種類の色界ジャーナと四無色定を含み、それはまたすなわち、すべての安止定(appanāsamādhi)でもある。

心清浄はまた、近行定(upacārasamadhi)を含むが、それはまさにジャーナに到達したのと同じくらいに、その定力が深いが故である。

<注5>義註では、観(vipassanā)を、行摂受観智(saṅkhārapariggahavipassanā-ñāṇaṃ)であると説明している。

行摂受=名色摂受=究極色法、究極名法及びその因をしっかり把握する事を言う。複註では、無常[・苦・無我]などの種々の行相(vividhenākārena)の照見を、観であるとしている。

(3-14につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。

<『涅槃証悟の唯一の道』パオ・セヤドー著 (原題「証悟涅槃的唯一之道」)

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>