Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

般若の独り言~変容(変熔)

このブログを読まれている読者の皆さまは、テーラワーダに出会って「ああ、もしかしたら、この人生の苦しさから抜け出せるかも知れない」とお考えでしょうか?

ゴータマ仏陀は、人間の意識、実存に関して、極めて高度な洞察、悟りを得て(正等正覚)、それを我々にも、伝授してくれました。

私も、仏教、特にアビダンマを知ってからは<この道を行けばよいのだ>という確信と安堵感で、心が一杯になったものです。

しかし、ゴータマ仏陀の教え、アビダンマを、ただ上から眺めていているだけでは、それが自分の一生の宝物になることはないようです。

我々は、自分自身が、変わらなければなりません。

己自身の<貪・瞋・痴>に気が付いて、その底なしの深さに身が震え、そして己自身の不幸の原因が、己自身にあるのだと分かった時(五取蘊、12縁起)、<変容>というものが生じます。

変容、それは<変熔>とも言えます。

私の身に変容、否、<変熔>が起こった時、一ケ月程、実際に微熱が出たものです。

意識はつねに宙に浮いているようでいて、心の中には、ふつふつと喜び(ピティ)が湧きあがる。そして身体は微熱で、常に怠い。

その時、タイの比丘長老が、教えてくれました:

「それは君の身・心に変熔が起こっているからだ」

「今生じるている熱によって、今までの古い君は、燃え尽きるでしょう」と。

それ以降は、ゴータマ仏陀の教えが非常によく分かるようになり、また、あまり苦労せずに、ダンマを受け入れられて、修行に励む事ができる様になりました。

勿論、凡夫が、己の<貪・瞋・痴>を、完全に断じ除くのは並大抵の事ではありませんが、それらが、機会あるごとに、少しずつ薄まって行くのは、自分で分かります(不善心というのは、結構しぶとく、しつこいものです。払っても払ってもひょいと顔を出す不善心・・・そんな時は、自分で自分を笑ってしまう事もあります)。

仏陀の道を歩くなら、<変熔>が必要です。

「あいつが悪い」と言って、他人に向けていた人差し指の、その下には、三本の指が己自身に向いている事の深い意味に気が付かれて、ぜひとも皆さまの意識において

変容、否、《変熔》が訪れますように、祈願しています。

  <緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>