『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(3-23)
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
止(観の修習における基礎禅)
比丘が止の修習をするという事は、すなわち定蘊(samādhikkhandha)(注11)を育成する事である。
深い定力は、光を生じることができる。
ジャーナは、非常に大きくて明るい、光り輝く、燦然とした光明を生じる事ができる。
この種の光を通して、禅の修行者は、究極色法、究極名法およびその因を識別することができる。
それらは観の修習における所縁である;
観の行=vipassanācara。
こうしたことから、《大念処経》の中において、仏陀は禅の修行者に対して、vipassanā の基礎とする事の出来る所の、ジャーナ(vipassanapādakajhāna)を育成する様、指導するのである。(注12)
<注11>《長部・清浄経》(Subha Sutta)において、アーナンダ尊者は、聖定蘊(ariyo samādhikkhandho)を、根門の守護、正念の具備、知足、五蓋の捨離と四種類のジャーナの修習であると 解釈している。
<注12>《増支部・伍達夷経》(Udāyī Sutta)において、アーナンダ尊者は、仏陀に第四禅の修習の利益を解説する:
”尊者、比丘は楽を捨離し、苦を捨離し、先の喜、憂はすでに滅し没しており、不苦不楽、捨、念、清浄で、第四禅が成就され、かつ(+そこにおいて)住されている(catutthaṃ jhānaṃ upasampajja viharati)。
尊者、この随念処(anussatiṭṭhānaṃ)に関してかくの如くに修習し、かくの如くに、多く実践するならば、多種の界(anekadhātupaṭivedhāya saṃvattati)に通達する様、導き至ることができる。”
通達される多種の界とは、18界;眼、色、眼識界、耳、音、耳識界等;六界:地水火風空、識界;三界:欲、色、無色界。すなわち、苦聖諦のすべての分類。
(3-24につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。
<『涅槃証悟の唯一の道』パオ・セヤドー著 (原題「証悟涅槃的唯一之道」)
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>