南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(3-27)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

二種類の業処

五蘊と六処は、仏陀が教えた vipassanā行における、二種類の分類型であり、また四聖諦を如実に証悟する前において、観智を通して観照しなければならない所の、所縁でもある。

その様に言うものの、vipassanā の所縁は、基本的には、同じ一つのものである。

それはすなわち、色(rūpa)と名(nāma)(注14)であり、仏陀はまたそれを、色身(rūpakāya)と名身(nāmakāya)とも、称した。

この様に、vipassanā とは、まさにこの二種類の業処から構成されている;

(1)色業処(rūpakammaṭṭhāna):

また色摂受(rūpa-pariggaha)とも言う;

(2)名業処(nāmakammṭṭhāna):

また名摂受(nāma-pariggaha)とも言う。(注15)

そして、仏陀は《大念処経》において、非常に簡略に vipassanā を指導している。

そのあまりに簡略性の為(+vipassanā の修習は)非常に誤解されやすい(+状況にある)。

もし、仏陀の《大念処経》の中の vipassanā に関する指導について、誤解したならば、その人の禅の修行方法は、間違ったものになる。

もし、修行が、間違ったものになったのであれば、彼は道・果を証悟する事はできないのである!

こうしたことから、我々がこの<序論>を書く主要な目的は、他の、異なった経典の中における仏陀の解説を探って、仏陀が《大念処経》で述べている所の vipassanā について、研究したいと思うものである。

(3-28につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。

<『涅槃証悟の唯一の道』パオ・セヤドー著 (原題「証悟涅槃的唯一之道」) 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>