<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
如是諸蘊(これが諸蘊である)
(我々は)まず、仏陀は ”如是色(これは色である)” と知る必要がある、と述べた(+事を確認しよう)。
これは、四大種と 24所造色を了知し、照見する事であり、すなわち色業処(rūpakammaṭṭhāna)の事である。
次に、仏陀は ”如是受、如是想、如是行、如是識” と言う。
これは、各種の心識と、それに相応する所の心所を了知し、照見する事であり、すなわち、名業処(nāmakammaṭṭhāna)の事である。(注16)
この種の方法を通して、五蘊を了知し、照見するならば、色身(rūpakāya)と名身(nāmakāya)の二者を了知、
照見したのだと言える。
すなわち、苦聖諦を如実に知り、理解したのである。
ここにおいて、我々は仏陀の述べた内容を確認し、強調したいと思う。
”比丘たちよ。
私は知者(jānato)、見者(passato)は諸々の漏が滅尽したと言い、不知者(no ajānato)、不見者(no apassato)(+がそう)であるとは言わない。”
覚えておいて頂きたい。
”知者”と”見者”の意味は、禅の修行者が己自身の自ら証得した智でもって、五蘊を了知し、照見するという事であって、五蘊とはすなわち、色身と名身の二者である。
”不知者” と ”不見者” とは、禅の修行者が、己自身の自ら証得した智でもって五蘊を了知し、照見したことがない者、己自身の自ら証得した智でもって、色身と名身の二者を知見した事がない者の事を指すのである。
<注16>《大念処経》の義註における論議・研究は、簡略的でありが、しかし、それが《清浄道論・説蘊品》においては、詳細に分析され、そこにおいては、特相(=特徴)、作用、現起(現象)と近因に基づいて、究極色法と究極名法を分析しているものである。
その為、パオ・セヤドーは《大伝記經》(Mahāpadāna Sutta)と《獅子經》(Sīha Sutta)の義註にも触れて、これらを参考にするべきだと提案している。
(3-31につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。
<『涅槃証悟の唯一の道』パオ・セヤドー著 (原題「証悟涅槃的唯一之道」)
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>