南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(3-33)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

1b)名色法の生起を引き起す所の、過去と現在の諸因が停止するのを了知、照見する時、名色法がどの様にして、その生起を停止するのかを、了知、照見するのを、縁滅を知見する(paccayato vayadassana)と言う。

過去因に関して、禅の修行者は先に、未来において、煩悩の般涅槃を証悟する時点を、了知し、照見しなければならない。

(+もし、照見できたならば)それは、未来における、名色法の生起の因の滅である(+事を知らねばならない)。

次に、未来における時点の証悟の後で、蘊が般涅槃する時、すべての過去の因がすべて滅し去るが、その時には、二度と再び如何なる諸蘊も生起する事がなという事を、了知、照見しなければならない。

これを苦の滅尽(注19)を知見する、と言う。

現在の因に関して、その因の滅とは、現在の因が滅した時、現在の因によって生じる所の名色法もまた、生じることを停止するのを、了知、照見する事を言う。

例えば、ある種の食素(=栄養)が、どの様にして、有限の数量を有する食生色を生じせしめるか、有限の数量をしか、生じせしめる事ができないかを了知、照見し、また、それらが消費し尽くされた後、二度と不再び、色法を生じせしめる事がない事を了知、照見する。

または、眼識がどの様にして、即に生し、即に滅しているかを了知、照見し、眼触もまた即に生し、即に滅しているかという事、眼触によって生じる受もまた同様である事を了知し、照見するのである。

<注19>:これはいまだ、真正なる涅槃の証悟(出世間的証悟)であるとは言えない。ただ、未来の煩悩と諸蘊の滅尽(世間的証悟)が見えただけである。

(3-34につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。

<『涅槃証悟の唯一の道』パオ・セヤドー著 (原題「証悟涅槃的唯一之道」) 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>