<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
1b)名色法の生起を引き起す所の、過去と現在の諸因が停止するのを了知、照見する時、名色法がどの様にして、その生起を停止するのかを、了知、照見するのを、縁滅を知見する(paccayato vayadassana)と言う。
過去因に関して、禅の修行者は先に、未来において、煩悩の般涅槃を証悟する時点を、了知し、照見しなければならない。
(+もし、照見できたならば)それは、未来における、名色法の生起の因の滅である(+事を知らねばならない)。
次に、未来における時点の証悟の後で、蘊が般涅槃する時、すべての過去の因がすべて滅し去るが、その時には、二度と再び如何なる諸蘊も生起する事がなという事を、了知、照見しなければならない。
これを苦の滅尽(注19)を知見する、と言う。
現在の因に関して、その因の滅とは、現在の因が滅した時、現在の因によって生じる所の名色法もまた、生じることを停止するのを、了知、照見する事を言う。
例えば、ある種の食素(=栄養)が、どの様にして、有限の数量を有する食生色を生じせしめるか、有限の数量をしか、生じせしめる事ができないかを了知、照見し、また、それらが消費し尽くされた後、二度と不再び、色法を生じせしめる事がない事を了知、照見する。
または、眼識がどの様にして、即に生し、即に滅しているかを了知、照見し、眼触もまた即に生し、即に滅しているかという事、眼触によって生じる受もまた同様である事を了知し、照見するのである。
<注19>:これはいまだ、真正なる涅槃の証悟(出世間的証悟)であるとは言えない。ただ、未来の煩悩と諸蘊の滅尽(世間的証悟)が見えただけである。
(3-34につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。
<『涅槃証悟の唯一の道』パオ・セヤドー著 (原題「証悟涅槃的唯一之道」)
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>