<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
《相応部・定經》において、仏陀は、類似した内容の教えを、教導している。
そこにおいては、比丘は、如実にこれらの事柄を知らなければならないと言い、また、仏陀は《増支部・修定經》の中において、以下の様に、指導している:
”比丘たちよ。
なぜ定の修習(bhāvitā)をするのか、それを多く修習する(bahulīkatā)と、なぜ念と正知に導き至ることができるのか(satisampajaññāya saṃvattati)?
ここにおいて、比丘たちよ。
比丘はすでに生じた受を知っている(viditā vedanā uppajjanti)、
それが住するのを知っている(upaṭṭhahanti)、すでにそれが滅し去ったのを知っている(abbhatthaṃ gacchanti)。
想(saññā)がすでに・・・知っている・・・尋(vitakkā)の生じたのをすでに知っている・・・すでに住するのを知っている・・・すでに滅し去ったのを知っている。”
”念と正知” の解説においては、複註は《大念処経》における、七種類の念処について、下記の様に、述べるものである:
”比丘たちよ。
比丘が前進する時、戻る時、正知を保持しなければならない(abhikkante paṭikkante samapajānakārī hoti)・・・。”
義註では、”すでに知る”(viditā)は ”明確(+な状態)に変化する”(pākaṭā hutvā)であると言う;
(3-35-cにつづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。
<『涅槃証悟の唯一の道』パオ・セヤドー著 (原題「証悟涅槃的唯一之道」)
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>