南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(3-38)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

仏陀はまた、この種の、五蘊に対する観智を、三種類の遍知と呼んでいる。

例えば彼が《蘊相応・証知經》(Abhijāna Sutta)の中に、述べている様に。

” 1)比丘たちよ。

色に対して、証知しない者(anabhijānaṃ)、遍知しない者(aparijānaṃ)、離棄しない者(avirājayaṃ)、捨断しない者(appajahaṃ)は、苦を尽滅する事はできない(abhabho dukkhakkhayāya)。

受に対して、証知しない者、遍知しない者、離棄しない者、捨断しない者は、苦を尽滅する事はできない。

想に対して、証知しない者、遍知しない者、離棄しない者、捨断しない者は、苦を尽滅する事はできない。

行に対して、証知しない者、遍知しない者、離棄しない者、捨断しない者は、苦を尽滅する事はできない。

識に対して、証知しない者、遍知しない者、離棄しない者、捨断しない者は、苦を尽滅する事はできない。”

ここにおいて、仏陀は三種類の遍知の過程を教え、教導している。

(1)証知(abhijānaṃ):これは禅の修行者が、己自身、自ら五蘊およびその因ーー異なる種類の色の過去、現在、未来、内、外、粗い、微細、劣等、優秀、遠い、近い及びその因、異なる種類の受、想、行、識の過去、現在、未来、内、外、粗い、微細、劣等、優秀、遠い、近い及びその因を了知し、照見している事を言う。

この事がvipassanā行(vipassanācāra)の証知(注22)であり、この種の証知はまた、”知遍知”(ñāta pariññā)と言うが、それは五蘊とその因を了知し、照見する事に相当する。

<注22>《蘊經》の義註において、これら五蘊を vipassanā行(vipassanācāra)と呼んでいる:

欲界(kāmāvacara)の色蘊と、欲界、色界、無色界の三界(tebhūmakā)の非色蘊の事である。これは一種の分類の方式に過ぎない。というのも、色法は、色界においてもまた生起するもおのであって、これもたま証知と遍知によって知られなければならない。

まさに欲界の人類または欲界天人の証得すジャーナが、仏陀によって色界と無色界ジャーナに分類されている様に。同様に、色界において生じる色法は、仏陀によって欲界法であると分類されている。

(3-39につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。

<『涅槃証悟の唯一の道』パオ・セヤドー著 (原題「証悟涅槃的唯一之道」) 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>