『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(3‐43)
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
観(三種類の遍知ーー四念処)
仏陀は、パーリ聖典の多くの経典の中において、何度も、色々な方式によってこの三種類の遍知を教え、教導している。
聞く者の好みに応じて、彼は vipassanā行 を異なった類に分けた・・・例えば五蘊(kkhandha)、六内・外処(āyatana)、または身体(kāya)と識(viññāṇa)などなど。
《念処相応・遍知經》(Priññāta Sutta)の中において、仏陀は四念処を、vipassanā行 として、同じく三種類の遍知を育成するとしている。
”
1)比丘たちよ。
ここにおいて、比丘は身随観身において住し、熱心に、正知し、念を具備し、世間の貪、憂を調伏する。
彼は、身随観身において住し、身を遍知する(kāyo pariññāto hoti)。
身を遍知するが故に、不死を証する(amataṃ sacchikataṃ hoti)。
2)受随観受において住し、熱心に、正知し、念を具備し、世間の貪、憂を調伏する。彼は受随観受において住し、受を遍知する(vedanā pariññāta hoti)。
彼は受を遍知するが故に、不死を証する。
3)心随観新において住し、熱心に、正知し、念を具備し、世間の貪、憂を調伏する。彼は心随観心において住し、心を遍知する(cittaṃ pariññāta hoti)。
彼は心を遍知するが故に、不死を証する。
4)法随観法において住し、熱心に、正知し、念を具備し、世間の貪、憂を調伏する。彼は法随観法において住し、法を遍知する(dhamma pariññāta hoti)。
彼は法を遍知するが故に、不死を証する。”
不死の証は、苦の完全な止息を意味する。
比丘は世間の貪、憂を調伏するとは、定力を育成して五蓋を取り除く事を意味する。
身、受、心、法を遍知するとは、四念処を修習する事であり、それはすなわち、五蘊の三種の遍知に相当し、五蘊とその生起と滅没を了知、照見する事、身、識とその因を了知する事である。
(3-44につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。
<『涅槃証悟の唯一の道』パオ・セヤドー著 (原題「証悟涅槃的唯一之道」)
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>