Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(3‐51)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

町を守る守衛は、自分自身はどれほど多く己自身の生き物が入って来たか、出て行ったかに、関心がない。

しかし、彼はどの様な大きな生き物(猫、人間、馬、象など)であっても、唯一、このひとつの門を通ってしか(+町に)入って来れないし、または出ていく事は、出来ない事を知っている。

これは唯一の道であり、その他の道はないのである!

同様に、仏陀は、どれほ多くの人々が、涅槃を証悟するかに、関心がない。

しかし、彼は強大な波羅密を有する人が、(過去においても、現在または未来においても)涅槃を証悟しようとするならば(苦を完全に止息したいのならば)、唯一、この道を通るしなかない事を知っている。

この門を通るには、二種類の歩みが存在する:

1、五蓋を捨離する:

前に述べた通り、近行定または安止定(初禅)を通してそれらを捨離する。

仏陀は《大念処経・法随観》の五蓋の部分において、それらを捨離する事に、直接言及している。

また《身随観》の入出息、32身分、界作意と 9墓地などの部分は、定力を通して、それらを捨離するべきことを、間接的に言及している。

2、四念処の修習を通して、七覚支を育成する:

仏陀は《大念処経・法随観》の七覚支の部分において、それらを育成すべき事に、直接言及している上に、それらは、一つの随観毎に、それら(=七覚支)を育成するのだという事を、間接的に説明している。(注24)

アーナンダ尊者の説明によると、二種類の歩みによって、この門を通って、涅槃に向かうことが出来る。

これは唯一の門であり、その他の門は存在しない。(注25)

(3‐52につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。

<『涅槃証悟の唯一の道』パオ・セヤドー著 (原題「証悟涅槃的唯一之道」) 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>