『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(3‐52)
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
<注24>:
仏陀は、《Kuṇḍaliya Sutta》の中において、以下の様に言う:
”クンダリヤよ。
四念処はどの様にして修習するのか?
どの様に多く修習する事によって、七覚支を円満させる事ができるのか?
ここにおいて、クンダリヤよ。
比丘は身随観身において住し・・・受随観受において住し・・・心随観心において住し・・・法随観法において住する。
熱心に、正知し、念を具備し、世間の貪、憂を調伏する(vineyya loke abhijjhā domanassaṃ)。
クンダリヤよ。
この様に四念処を修習し、この様に多く修習すれば、七覚支を円満させる事ができる。”
《中部・入出息念經》において、仏陀はこの種の修習方法について、更に詳しく解説している。
<注25>:
《長部・浄信經》(Sampasādanīya Sutta)と《相応部・ナーランダ經》(Nālamnda Sutta)において、シャーリープトラ尊者は、同様の譬えを用いて、過去、未来のすべての諸仏は、現在のゴータマ仏陀を含んで、みな、心の汚染の捨離を通して、慧を高めて、五蓋を弱めたのであり、また四念処において、善く心を建立し、七覚支を如実に修習し、結果、無上の正自覚(=己自らによる正しい覚醒)を証悟したのである(+事を説明している)。
仏陀は ”Sādhu!Sādhu!Sāriputta” と言って、彼の観点を賛同した。
その内、念処とは vipassanā であり、覚支とは道(maggo)であり、無上正自覚とは阿羅漢(arahattaṃ)の事である。
または、念処は vipassanā であり、覚支は混合されたものであり、それは、止と観と道が含まれた混合(+の法)である(samathavipassanāmaggavasena missakā)。
(3‐53につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。
<『涅槃証悟の唯一の道』パオ・セヤドー著 (原題「証悟涅槃的唯一之道」)
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>