<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
身随観身において(内と外)
仏陀はまた、禅修行者は、内(ajjhattaṃ)身と外(bahiddhā)身を随観しなければならない、と言っている。これは五蘊の11種類の形式の二種類の事である。
(+修行者は)仏陀が前に述べた、禅修行者が、過去、現在、未来、内、外、粗い、微細、劣等、優秀、遠い、近いの五蘊への遍知を擁する以外、決して苦を滅尽することはできない、という事を覚えておくべきである。(注32)
この事から、仏陀は、禅修行者は内、外の身を随観する必要があると言った時、その意味は、過去、現在、未来、内、外、粗い、微細、劣等、優秀、遠い、近いを随観しなければならない事を意味するのを理解するのは、決して困難なことではないのである。(注33)
身随観身において(生起する法と壊滅する法)
仏陀は、禅修行者は身随において生起する法(samudaya dhammā)を観じ、身随において壊滅する法(vayadhammā)を観じなければならない、と言った。
我々はすでに《縁由經》に基づいてその含義を研究したが、その意味とはすなわち、過去と現在の因を原因として生起する法を観照する、という事である。
(3-66につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。
<『涅槃証悟の唯一の道』パオ・セヤドー著 (原題「証悟涅槃的唯一之道」)
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>