<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
身随観身において(過去因)
我々はここまでにおいて、ただ、現在因によって生じる所の、色法の生起とその壊滅について、語っただけである。
が、しかし、ある種の色法は、過去因によって生じ、かつ、過去因の滅と共に滅する。
これは、正順と逆順の縁起に関する、観智である。
何が色法をして、生起させる所の、過去因であるか?
それは色法ではない。
現在の色法の生起の因は、過去の色法ではなく、それは、現在の色法を生じせしめる所の、過去の業の、業力である。
ある一つの世において、造(ナ)した所の業は、もう一つ別の世において、業生色を生じせしめる事ができる。
例えば、人が結生するという事は、結生心と何種類かの業生色によって、生起するものであり、禅修行者は、これらの業生色の生起を判別しなければならない。
それはすなわち、縁起の正順を判別しなければならない、という事である。
この後、我々は、縁起の識別の方法について検討を行うが、ここにおいては、ただ単純に、過去因によって生じた身の生起と、その壊滅の法を観照しなければならないという事と、また、過去の煩悩(kīlesa)ーー無明(avijjā)、愛(taṇhā)と取(upādāna)によって、衆生が思(cetanā)を通して、ある種の業を造(ナ)し、かつ、これらの業によって生じるであろう、未来世における名色法の観照をしなければならない、という事についてだけ、説明したいと思う。
この種の過程を観照するためには、禅修行者は、過去の心、過去の受と過去の法を、観照しなければならない。
また、これらの煩悩が未来において(阿羅漢を証悟する時)(+生じる所の)無余滅尽(ママ)と、五蘊において、未来(般涅槃の時)に(+生じる所の)無余滅尽を識別する為に、禅修行者は、未来の色法を観照する以外に、未来の心、未来の受と未来の法もまた、観照しなければならない。
身随観身において(結び)
この様に(=前述の様に)、禅の修行をする事によってのみ、身随観における生起と壊滅の法(samudayavayadhammā)を(+観照することができる。)
この様に禅の修行をする事によってのみ、聖道と聖果を、証悟する事ができる。
我々が先に引用した経文に基づけば、仏陀はこれ以外、他に方法はないと、説いているのである。
(3-70につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。
<『涅槃証悟の唯一の道』パオ・セヤドー著 (原題「証悟涅槃的唯一之道」)
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>