<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
唯一の道(観業処ーー受随観)
【比丘たちよ。
ここにおいて、
1)比丘が楽受を感じる時
(sukhaṃ vā vedanaṃ)、
’私は楽受を感じる’ と了知する
(sukhaṃ vedanaṃ vedayāmī’ti)。
2)苦受を感受する時
(dukkhaṃ vā vedanaṃ)、
’私は苦受を感じる’ と了知する
(dukhaṃ vedanaṃ vedayāmī'ti pajānāti)。
3)不苦不楽を感受する時
(adukkhamsukkhaṃ vā vedanaṃ)、
’私は不苦不楽を感じる’ と了知する(adukkhamasukhaṃ vedanaṃ vedayāmī'ti pajānāti)。】
比丘が身または心の快楽(=楽しさ、楽)を経験した時、”私は楽しい、楽な感受を体験した” と了知する。
しかし、嬰児であっても、母親の母乳を吸う時、彼は楽しい感受を体験している事を分かっており、彼が、痛苦の体験をする時もまた、分かっているのである・・・故に嬰児は泣くのである。
受随観を修習する比丘が了知する事柄は、彼がこの様に感じた、またはあの様に感じた、という様な感受のみなのであろうか?(注35)
《大念処経》の義註の解説は、以下の様に述べる:
(3-71につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。
<『涅槃証悟の唯一の道』パオ・セヤドー著 (原題「証悟涅槃的唯一之道」)
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>