Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

『涅槃証悟の唯一の道』★パオ・セヤドー著(3-71)重要必読

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

”この様な 知っている は、有情の見解を捨断できないだけでなく(sattūpaladdhiṃ na jahati)、有情の想も、断じ除くことができないし(attasaññaṃ na uggahāṭehi)、業処の修習でも、念処の修習でもない(kammaṭṭhānaṃ vā satipaṭṭhānabhāvanā vā na hoti)。”

それでは、現実的な、真正なる受念処の育成とは、どの様なものであろうか?

それは、各種の受及びその生起、滅尽を証知し、かつ、その滅尽へと導く事のできる、禅の修習の事である。

では、受とは如何にして、生起するのであるか?

仏陀はかつて、何度も解説を加えている。

例えば、《蘊相応・七処經》(Sattaṭṭhāna Sutta)において、下記の如くに言う:

”比丘たちよ。

何が受(vedanā)であるか?

比丘たちよ。

六種類の受身(vedanākāyā)がある;

眼触は受を生じ(cakkhusamphaassajā)、

耳触は受を生じ、

鼻触は受を生じ、

舌触は受を生じ、

身触は受を生じ、

意触は受を生じる。

比丘たちよ。

これを受と言う。

触が生じるが故に受が生じる(phassasamudayā vedanāsamudayo)、

触が滅するが故に、受が滅する(phassanidodhā vedanānirodho)。

(注36)

(3-72につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。

<『涅槃証悟の唯一の道』パオ・セヤドー著 (原題「証悟涅槃的唯一之道」) 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>