Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

『涅槃証悟の唯一の道』★パオ・セヤドー著(6-3) 重要必読

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

この方法で修行する時、ある種の禅修行者は、いくつかの問題に遭遇する。

その代表的なものは、以下の四種類である:

1)目で呼吸を観ずる:

目で呼吸をみてはならない!もし、あなたがその様にするならば、目が疲れれてしまうし、同時に目の周囲または顔、頭が締め付けられる様になる。故に、どの様な時においても、心は、呼吸に専注しなければならない。

2)呼吸と共に鼻腔に入り込む:

定力が上昇すると、呼吸は微細に変化する。これは自然な現象である。

その時、鼻腔の中の呼吸は比較的鮮明に変化する。それはしかし、実際には風界の推進力が鮮明になっただけなのである。

もし、あなた(+の心)が呼吸と共に鼻腔に入り、かつ長時間風界の推進の相に専注するならば、地界の硬さの相、水界の粘着の相もまた明確になる。

その時、あなたは、四界の推進、硬さ、粘着という三種類の特徴を専注していて、呼吸への専注が疎かになっているのである。

この時、あなたは入出息の修習をしているのではなく、四界の修習をしている事になる。

もし、あなたがこの様な方法で四界を修習するならば、あなたの顔全体、または頭部は徐々にではあるが、益々硬くなっていく。

そうなると、あなたは禅の修行の為に、目を閉じるや否や、これらの部位に締め付けられた様な感覚を覚える様になる。

故に、呼吸が微細になった時、鼻腔の中の呼吸が鮮明であると言う理由から、それにしたがって(+心が)鼻腔に入る様な事をしてはならない。

この様な時、修行者は、人中または上唇の辺りで呼吸が鮮明になるのを待たねばならないのである。

3)過度に皮膚に専注する:

鼻孔の出入口や上唇あたりの皮膚に、過度に専注してはならない。

何故であるか?

皮膚の対して過度に専注すると、皮膚の四界に専注している事になり、呼吸への専注を忘れてしまう。

あなたの業処は入出息から離れて、四界の修習に変更してしまうのである。

4)(+奥)歯を噛みしめる:

呼吸に没入して専注している時、あなたは無意識に(+奥)歯を噛みしめる事がある。この様にすれば、あなたの顔面には、締め付けられる感覚が生じるであろう。

故に、上下の歯は、すこし離しておくのがよい。

もし、あなたには、上に述べた様な、四種類の問題がなく、かつ静かに入出息に専注することができる、心がどこにも漂っていかないならば、あなたは定力を育成し、成長させる事ができる。

これが(+以下の様な)仏陀の教えの意味である:

【比丘たちよ。

ここにおいて、比丘は林野に赴き、木の下に赴き、または空き地に赴き、結跏趺坐にて座り、身体をまっすぐに伸ばし[入出息において]前面に念を置く。

彼はただ入息を念じ、ただ出息を念ずる。】

この種の方法によって半時間ほど呼吸に専注した後、修習の第一段階または第二段階に進む事ができるーーすなわち、長い息と短い息を了知する事である。

(6-4につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。

<『涅槃証悟の唯一の道』パオ・セヤドー著 (原題「証悟涅槃的唯一之道」) 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>