般若の独り言~賢いリトリート
来年二月に、台湾の<法雨道場>で行われるリトリート、中国語で禅修営(chan xiu ying)といいますが、参加
申請にOKが出ました。とても楽しみです。
指導者は、緬甸の gwa に道場を持つ、P尊者です。
今年の初め、同じく<法雨道場>で P尊者のリトリートに参加した時、尊者は開口一番、こう言われました。
「ここは大事なリトリートの場です。
みなさん貴重な時間を工面して、参加されています。
どうか、議論は慎んで下さい。
ダンマに関する議論は、仏教大学で済ませておいてください。修行道場、リトリートは、議論の場ではありません。」
私は、緬甸のパオ本山で二年程修行しましたが、毎日の面談(インタビュー)の時、ダンマについて議論する人は
皆無でした(インタビュー参加者は、主に台湾、韓国の比丘尼、台湾、マレーシアのサヤレー、各国の在家女性)。
みなさん、仏法への疑惑を払拭してから来ているか、または疑問を持っていても、己の修行を通して、決着をつけ様としているのです。
インタビューの時に、ダンマについて延々と、禅師と議論するという事は、他人の面談の時間を奪う事になります。
実践の場、特にリトリートでは、己の瞑想体験を指導者に報告して、その長所・欠点・盲点・死角を指摘してもらい、次の進歩へ繫げなければなりません。
輪廻の主体は何か?
誰が生きて、誰が死ぬのか?
などという疑問は、是非仏教大学(進学でも聴講でも。日本にもタイにも緬甸にも仏教大学はあります)、各種の講座(日本にも民間の仏教講座、色々あります)で済ませておいて下さい。
自分の時間も、他人の時間も無駄にしない事、これが
<賢いリトリートの受け方>です。
(注)セヤドー方は、リトリートの場にふさわしくない質問には、無記で応じられます。
尚、無記とは、「無意味な質問には答えない」と言う意味合いだけではなく、質問者の態度が悪い時なども、無記となります。