<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
第二禅
あなたは、初禅に習熟した後、第二禅に進む事ができる。
先に、すでに習熟した初禅に入り、出定の後、初禅の二つの欠点と第二禅の一個の長所を省察・思惟する。
それらはそれぞれに、以下の様である:
(1)初禅の欠点は、敵対する五蓋に近い事:
1、欲貪(kāmacchanda)。
2、瞋恚(byāpāda)。
3、昏沈睡眠(thinamiddha)。
4、掉挙後悔(uddhaccakukkucca)。
5、疑(vicikiccgā)。
それらは、先に初禅によって断じ除かれているのではあるが、初禅は五蓋に近いと言われる。
(2)初禅の第二の欠点は、尋、伺という二つの粗い禅支があることであり、これらは初禅が、無尋、無伺の第二禅ほど静寂ではない、という欠点を、初禅に齎す。というのも、尋、伺の禅支は粗くて劣っており、それが初禅を弱くしたり、喪失させたりする。
(3)第二禅の長所は、尋、伺がないために、初禅より静かである事。
この様に省察・思惟した後、心は、尋、伺という二つの粗い、劣っている所の禅支をいらないものとして、喜、楽と一境性という、この静かな禅支のみがあればよい、という願いのもと、再び入出息似相に専注する。
しかし、ここにおいて、注意しなければならないのは、入出息似相に専注する時、”入息、出息”などと黙念してはならない、という事である。
なぜであるか?
というのも、黙念は、尋、伺に属する二つの粗くて劣等な禅支から生じる所の語表(vacīviññatti)であるからである。
このふたつの禅支を断じ除こうとしている時、それら黙念を再び用いて、それらを惹起してはならない。これより高度のジャーナに対しても、すべて上の通りである。
黙念をしないで、ただ入出息似相の上に専注するならば、再び安止を得る事ができる。
もし、あなたが今まで第二禅を経験したことがないのであれば、この種の安止は、いまだ初禅であり、故に、尋、伺の二つの禅支はいまだ存在している事を、知らねばならない。
あなたは初禅に何分かほど止まり、初禅から出定して、再度禅支を省察すれば、この時、あなたは尋、伺の二つの禅支は粗くて劣っていて、喜と楽と一境性は平静であるという事に気が付くに違いない。
粗くて劣っている禅支を取り除いて、平静な禅支を保留するために、あなたは再度入出息似相に専注すれば、非常に快速に第二禅の安止に入る事ができる。それ後に、あなたは第二禅の五自在を修習しなければならない。
(6-22につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。
<『涅槃証悟の唯一の道』パオ・セヤドー著(原題「証悟涅槃的唯一之道」)
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>