南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

翻訳『禅修指南』(2-7)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

彼は以下の様に誤解する:

「以前、この種の光明が生起した事はない。私は道と果を証得したに違いない。」

彼は非道を道として執着し、非果を果として執着して、その結果、正道から乖離する。この種の光明が、人をして正道から乖離させるが故に、それは煩悩の一つとして数えられる。

この段階において、この種の光明が出現するのは、非常に普通の事なのである。

しかし、智慧の光に関して、人々は多くの疑問を持つのである:

智慧には光があるのか?

名法には光があるのか?

これらの疑問に関して《大疏鈔》は以下の様に解説する:

vipassanobhāsoti vipassanā cittasamuṭṭhitaṃ utusamuṭṭhānañca bhāsuraṁ rūpaṁーー

「観禅の光明は、観禅の心と、自身の身体の相続の内の時節によって引き起こされる、極光明色(=極めて光り輝く明るい色)である。」

では、観禅の光明とは何か?

上の文章では、二種類の原因に言及している:

(一)観禅心

(二)禅修行者自身の色相続流の内の、時節の火界と呼ばれるもの。

禅修行者は、修行者が、色業処の修習を実践する段階において、以下に説明する二種類の項目を、非常に簡単に理解することができる:

(2-8につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。

<本雅難陀尊者(Ven. U Puññānanda)著 『禅修指南』Meditation Guide 第二版

中国語版→日本語訳出翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>y