<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
もし、禅相が、あなたの眼前より遠くに出現する時、それに注意を払ってはならない。
というのも、それは、消失する可能性が存在するし、また修行者が、この様に修行するならば、安止定(appanā samādhi)に到達する事ができないからである。
なぜであるか?
その理由とは、これが、安般念業処を修習する時の、一つの重要な原則であるが故に。
註釈では、以下の様に言う:
念の修習(bhāvanā sati)において、接触点にある息に専注することができて初めて、安般念の定力は、円満に成就する事ができる。
もし、当該の場所以外に存在する息に専注するならば、(+修行者は)安般ジャーナを証得することはできない。
こうしたことから、禅相が、息から遠く離れて(+出現して)いる時、あなたは、それに注意を向けてはならず、引き続き、鼻孔の周囲の一か所に存在する、明確な息に専注するべきである。
その様に実践するならば、その後において、禅相は、自動的に(+己自身の鼻孔の方へ)近づいてきて、当該の場所に留まり、息と結合して、一体となるであろう。
(3-15につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
中国語→日本語 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay