<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
ジャーナの修習を始めたばかりであれば、あなたは、長時間ジャーナに安住できる様、練習するべきであり、余り長い時間を、禅支の省察に使ってはならない。
熟練すれば、あなた同時に、五つの禅支を、省察することができる(+様になる)。
しかしながら、ある種の禅修行者は、憶測の方法でもって、禅支を省察する。
本当に正しい方法とは、仏陀が《アビダンマ》の中において、述べている所の教えに基づくべきである。
禅修の心は、心臓の中の「心所依処」に依存して、生起する所の、心路過程心である。
「心路過程心」(vīthi citta)が生起していない時、生起するのは有分心(bhavaṅga citta)である;
一たび、心路過程心が生起すると、有分心は即刻(+その生起を)停止する。
(3-29につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
中国語→日本語 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay