<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
もしあなたが、心をして平静に、安般似相を、一時間または二時間、または、それ以上の時間、専注せしめることができるならば、この時の禅相の光は、非常に明るいものになる。
禅修の心によって、その光は、身体の四周を照らす様になる。
もし、この光の力の助けを借りて、心臓の中の心所依処を識別するならばーー
pabhassaramidaṁ bhikkhave cittaṁ;
比丘たちよ、この心は非常に明るい(《増支部・一集》)ーー
明るく輝く、有分を見ることができる。
上記の表現は、その清らかな本質を述べているだけであって、それは見る所、一面の鏡の様に見える。
もし、あなたが、明るく輝く安般似相を擁するならば、有分を識別する時、安般似相は、まるで一面の鏡の様相を呈する所の、有分の中において、それは出現する。
その時、あなたははっきりと、明晰・明確に、五禅支を識別する事ができる。
(3-30につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
中国語→日本語 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay