<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
転向と省察の二者は、同じ「意門心路過程」(manodvāravīthi)の中において出現する。
転向とは、「意門転向心」(manodvārāvajjana)によって運用され、尋などの、五禅支の中の一つを、目標とする;
省察とはすなわち、意門転向心の後に、引き続き生起する所の、七つの速行心によって、運用されるものであって、二者は同じ目標を取るのである。
《増支部・母山牛經》(Aṅguttara Nikāya、Pabbatteyyagāvī Sutta)において、仏陀は比丘たちに以下の様に、注意を与えている:
いまだ初禅の五自在に熟練する前に、第二禅に進んではならない。
その様にするならば、彼は初禅を失い、かつ、第二禅にも到達することができなくなり、(+同時に)二者を失うであろう、と。
初禅の五自在に熟練した後、あなたは、第二禅の修習に、進む事ができる。
その時、あなたは先に、初禅に入らなければならない。
初禅から出て、初禅の欠点及び、第二禅の長所を思惟する:
初禅は五蓋に近い;
初禅の内の尋、伺禅支は粗悪でり、劣っていて、それらは、初禅をして尋、伺のない第二禅の静寂より劣らせしめる。
この二つの禅支を取り除きたいという思いの下、喜、楽、一境性のみを残したい、という願望をもって、再度、似相に専注する。
この様にすれば、あなたは喜、楽及び一境性を具備する所の、第二禅に到達することができる。
次に、第二禅の五自在を修習する。
(3-32につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>