<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
『仏教徒信仰的是什麼』から抜粋翻訳
(P45~)
《仏陀の沈黙》
質問した当人に、その回答を理解できる能力がないと思われる時、または質問自体が本質的な錯誤を含んでいる時、仏陀は沈黙を守る。
經典の中の記載によると、仏陀はある種の集会において、質問者の質問に回答を与えず、沈黙を守った。
一部の学者は、仏陀の沈黙の意味を誤解し、軽率に結論づけて、仏陀はそれらの質問に回答する能力がないのだ、と言った。
確かに、仏陀は形而上の玄学に関する質問または推測による質問には答えなかったのである。
仏陀は、質問者が回答を聞いても、その時点では理解できないか、または提出された質問が根本的に間違っていると理解した時、仏陀は沈黙を守り、回答を与えない。
仏陀が沈黙を守る質問には、以下の様なものがある。
1、世界は永恒か?
2、世界は永恒でないか?
3、世界に終わりは有るか?
4、世界に終わりはないか?
5、霊魂は肉体と同じか?
6、霊魂は霊魂、肉体は肉体か?
7、如来は死後、存在するか?
8、如来は死後、存在しないか?
9、如来は死後、存在し、かつ存在しないか?
10、如来は死後、存在しないし、かつ存在しないでもないか。
仏陀はこれらの問題の本質をはっきりと理解していたが故に、沈黙を守った。
一人の、ごく普通の一般人がいまだ悟りを得ていない段階において、これらの問題に対する理解は、ただ直感または想像によっているだけであって、故に、これらの問題は論争を引き起こす。
仏陀がこれらの問題に沈黙を守ったのは、彼ら質問者に答えるより、その方がよいからである。
ある種の現象は、語彙の不足によって、明確に説明するのが困難である。ある種の集会では、仏陀は非常に辛抱強く、人類の有限の言語でもって真理に関する説明をしたが、その真理が絶対的に正しければ、どの様な言語または方式を用いて表現しても、その内実は同じものである。
仏陀がその様にすることはできたが、しかし、人類の有限の観念の中において、(+仏陀の説明によって)事実が誤認される危険性が内包される。
これが、七人の盲目の人々が象を撫でた時の物語(+で現される状況)であって、七人の誰もが、一体象がどの様な様子の動物であるのかを、理解することができないのである。
一人の先天的な視力障碍者は、空がどの様に色をしているのかを、生まれつき、知らないのである。
(B- 2 につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
原題『仏教徒信仰的是什麼』中国語版→日本語 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay