<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
三番目の回答方法。
反問する方式でもって、質問者自身に疑問を解決させる。
例えばある人が問う:
「殺生はなぜ罪だと言われるのですか?」
これを彼に反問する:
「もし、その他の衆生があなたを殺害したならば、あなたはどの様に思うか?」
そうすれば、この問題はこれ以上答えなくても済む。
これは非常に自然な現象であり、もし回答したならば、却って混乱を齎すものである。
四番目の方法。問題を横においておく。
例えば、有る人が問う:
「この世界はいつから始まったのか?」
この問題は、人類にとって未だ正確な回答を得ることができない問題であり、推理かまたは想像に頼るしかなく、正確な回答はないのである。
仏陀の与えた回答の中には、今日明らかになった科学と適合するものが非常に多い。
ロバート・オッベンハイムは言う:
「我々が:
『電子の配列・順番は、皆同じであるか?』と問う時、答えは『No』である。
我々が:
『電子は静止しているか』と問う時、答えは『No』である。
また:『電子は運動しているか』と問う時、答えは『No』である。」
仏陀は、人間の死後の状況に関しても、上記と同じ回答を答えている。
しかし、これら仏陀の教えは、17、8世紀の科学者の理解しえないものである。
明晰に知っておきべき事は、仏陀はある種の問題に関しては、明確な答えを与えなかった、という事である。
しかし、それでも経典の中において、人を驚かせるに充分な科学的観点が述べられている。
以上が、仏陀が、あれら好奇心に満ちた者を満足させる為に回答するのを良しとせず、彼らに正面から回答しなかった、その理由である。
(C-1につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>