Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

仏教徒は何を信じるか~釈果道追善供養翻訳(D-2)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

仏陀が入滅して数百年の後、彼の信徒たちは彼の教義を組織化して、宗教を形成することとなった。

彼らはその他の信仰、各種の奇跡、神秘、占い、まじない、霊符、壇場、お告げと各種の儀式を混ぜ込んだ。

これらは、原始の仏陀の教えの教義にはないものである。

これら外来の宗教的信仰が仏教の体系の中に取り入れられた時、非常に多くの人々は、原始仏教の中における最も重要な修持:自律、自制、道徳的な陶冶と心霊(=心)の発展を軽視した。

人々は、仏陀の元々の教義を、二度と修持することなく、大部分の労力を、邪悪な神霊に向かって庇護を求めたり、また、富と運気を追求する事に費やす様になった。

徐々に、彼らは仏教に対する興味を失い、ただひたすら、占い、黒法を追求し、または悪運を避ける方法や病魔を避ける方法ばかりを追求する様になった。

この種の状況の下、宗教の修行と信仰は、極限的な、一般的な、世俗的な追求に堕してしまったのである。

現代においても、多くの人々は、外部からの力を通して、己自身の各種の困惑を払うことができる、と信じている。

人々がこの種の信仰を追求する限り、彼らは堅固不抜な意志、智慧と学識、及びその他の人類に関連する所の、優良な本質を打ち立てることはできない。

言い換えれば、人々は、仏教の名を利用して、人類の智慧と学識を濫用して、外部の力に頼る様な信仰を追求しているのだと言える。

彼らは、この事によって、元々純潔であった仏陀の教義を汚したのである。

我々は多くの国家の内において、これら現代的な宗教を見つけ出す事ができる。

これは、人類が居住する所の社会的背景と文化的環境が異なるが故の現象である。

仏教を宗教である、と規定したとして、それはいきなり天から降ってきたものではない;それは非常に長い歴史を経て誕生し、その過程の中で発展してきたものである。

それが変化する過程の中で、人々は仏陀の原始の教義を投げ捨てて、非常に多くの、仏陀の教義とは異なる新しい宗教を創立した。

我々は仏教の名を掲げた盲目的な信仰だけを見て、宗教はよくないという結論を下さない様にしなければならない。

一つの宗教の本質を理解するためには、その宗教の創設者の原始的教義を研究し、考察しなければならない。

現在、我々は、後期仏教が発展せしめた、各種各様の宗派と思想に、出会っている。

我々は、正しい仏法、究極なる仏法に、回帰しなければならない。

人々が信仰し、実践しているのが、どの様な仏教であるにしろ、仏陀の原始の教義は、完全に、何一つ欠かすことなく、経典の内に保存されている。

(E-1につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

中国語→日本語 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay