<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
『仏教徒信仰的是什麼』から抜粋翻訳
(P86)
論蔵(アビダンマ):
論蔵・・・ある一人の、思考を好む人間から言えば、論蔵とは、非常に重要で、かつ有意義なものである。
それは、仏教における、すべての高度で深い哲理を含み、經蔵における、深遠な話を、簡易に説明する方式とは、ちょうど強烈な対比となっている。
經蔵の中にみられる問題・課題は、個人または衆生に属するものである。
しかし、論蔵においては、これら伝統的な名目とは異なって、我々が対面するのは、生命の本質を探索する為の名詞、例えば:仮合、名、色などなどである。
經蔵の中において発見されるのは、普通の教養(普法、Vohara Desana)であるが、論蔵の中において発見されるのは、絶対的な教養(対法、Paramattha Desana)である。
論蔵の中においては、一つ一つの事柄に対して、詳細な分析と説明が加えられている。
故に、これは分析の教養(明法、Vibhajja Vada)と呼ばれる。
論蔵は四種類の、生命に関する終極的、究極法(Para-mattha)が含まれるが、それらは:心法(Citta)、心所法(Cetasika)、色法(rūpa)と涅槃法(Nibbana)である。
(E- 6につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
中国語→日本語 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay